いつもであれば、年中夏気分なのではないかという位に底抜けに明るく、直ぐに笑ってくれる。だが、それを微塵も感じさせないほどに疲れ果てていた。昨夜話した時とは正反対のそれに動揺する。
「ああ、鈴さんかァ……。あの……」
松原は桜司郎の顔を見るなり、僅かにホッとしたような表情を浮かべ、そして何かを言いたげに唇をパクパクと動かした。
「その……、」
なかなか煮えきらず、言葉の続きを発しようとしない。桜司郎は眉を顰めて首を傾げた。
「具合、悪い?お医者に一緒に行こうか?」
その問い掛けに松原はゆるゆると顔を振る。意を決したように、深く息を吸い込み口を開いた。
「あのな、聞いて欲し……」
「あッ、居た。鈴木ーッ!土方さんが探していたよー!」
そこへ快活な声、足音と共に藤堂が寄ってくる。額頭紋消除 途端に松原は口を 副長室に入り、土方の前にちょこんと座る。江戸での時間を共にしたからか、前よりも圧迫感は無かった。だが、江戸で感じた気さくさよりも、副長としての威厳を纏う土方がそこにいる。
「非番だってェのに呼び付けて済まねえな」
それでも前よりは土方の表情も柔らかい。何とも言えない気恥ずかしさのような気持ちが込み上げてくるのを感じながら、桜司郎は膝の上においた手を少し握り締めた。
「いえ……。それよりも、どうしました?」
「二日後に、大樹公が上洛される。三条蹴上から二条城までの護衛を新撰組も担当することになった」
大樹公とは、現将軍の徳川家茂を指す。大役である筈なのに土方は何処か苦々しい表情をしていた。
「そこに幕府の御典医である、松本良順という医者が着いてくるってェ話なんだよ。近藤さんが江戸に行った時に交流があったみてえでな。次いでに にも顔を出すんだと」
未だ話の脈絡が掴めない桜司郎は慎重に頷きながら傾聴する。つまり、将軍専属の医者が新撰組に来るという話だった。
土方はハァと重い息を吐くと、腕を組む。
「……俺ァそもそも医者が苦手なんだ。そこでお前に補助を頼もうかと思ってよ。気配りが その声に、松原は顔を上げた。その目元には隈を拵え、顔には影が浮かぶ。という言葉がまさに当てはまる容貌だった。
それを見た桜司郎はギョッとして、目を見開く。
「ち、忠さん……?どうしたの、顔色が悪いけれど」 えだろう」
土方にも苦手なものがあったのかと桜司郎は目を丸くする。医者嫌いなんて、まるで子どものようだと口元を緩めた。
それに気付いた土方が睨みを効かせる。桜司郎は肩を竦めた。
「わ、分かりました。ですが、何故私に……?」
その問い掛けに、土方は待ってましたと言わんばかりに口角を上げる。悪巧みをするようなそれに背筋に寒気が走った。
「取引、だ。お前の秘密を俺は握っている。お前はそれをバラされたくない。それなら互いに利がある行動をした方が、それを守るための説得力になるってもんだろう?」
「つまり、秘密を守る代わりに副長の駒になれ……と」
「人聞きが悪いな。"そこまでは"言ってねえよ。そもそも、隊編成で一番組から外さなかっただけ有難いと思え。監察方か、局長付にしようかとも悩んだんだぜ」
それを引き合いに出されては、桜司郎には何も言えない。だが好意で秘密にしてくれると言うよりかは、交換条件で秘密にする方が気も楽ではないかと思い直した。
「それは……有難うございます。では、それでお願いします」
「素直で聡い奴は嫌いじゃねえぜ。まあ、その代わりと言っちゃあ何だが、困ったことがあれば遠慮なく言え。……力になってやらんでもない」
相変わらずの上からの物言いだが、これも土方なりの優しさと不器用が故のものと知っているからか、笑みが浮かぶ。
「何笑っていやがる。話はそれだけだ、さっさと行け。また仕事の時に呼ぶ」
桜司郎は頷くと、副長室から出た。